普通の人は、「普通」であることが「当たり前」だ
普通の人は「普通」であること、「当たり前」にできることに価値を感じない
私たちが価値を感じるのは「当たり前」じゃないことだけ
「失って初めて気づく」という言葉があるように
「当たり前」であることに価値を感じるためには「当たり前じゃなく」すれば良い
言い換えると、「当たり前」が通じない環境に身を置けば良い
「置けば良い」って書いたけど、もちろん「置かざるを得ない」こともある
病気になったら「健康」に価値を感じる
親を亡くしたら「いつもご飯を作ってくれた存在、叱ってくれた存在」に価値を感じる
スマホを無くしたら「いつでも連絡できること、調べられること」に価値を感じる
日本を離れたら「日本に戻りたい」と思う
大学生になったら「高校時代」に戻りたいと思う
夏になったら冬になってほしいと思うし、冬になったら夏になってほしいと思う
「当たり前」に価値は感じないけど、「当たり前じゃない」に価値を感じる
でも、一つの事柄に「当たり前」と「当たり前じゃない」は共存する
それは人にもよるし、同じ人であってもタイミングによる
「明日生きること」が当たり前の人もいれば、今日が命日の人もいる
「学校に行くこと」が当たり前の時期もあれば、当たり前じゃない時期も来る
生命として生きていくには「当たり前」を増やさなきゃいけないし、勝手に増えてくけど
人として生きていくには「当たり前じゃない」を増やす必要がある
「当たり前じゃない」ことには価値を感じて、自然と感謝するようになるから
心が貧しい人と豊かな人の違いはここにあるんじゃね?