【量子力学】【読み物】『鏡の中の物理学』(朝永振一郎)感想:量子を一般人に分かりやすく解説した一冊

感想

湯川秀樹さんに次いで、日本人として二番目にノーベル物理学賞を受賞された、朝永振一郎さんがお書きになられた本です。

物理をやっている人で知らない人はいないであろう偉大なお方が、一般人にもわかるように量子の持つ不思議さを文章で解説するという試みがなされています。

この本には、朝永振一郎氏の著作の中でもとりわけ有名な「光子の裁判」というセクションがあります。

「光子の裁判」というのは、量子の持つ性質を顕著に表す「二重スリット実験」という超有名実験を事件になぞらえて、物理を知らない方でも量子の性質(の一端を)平易に説明したものです。

私はこの本『鏡のなかの物理学』の中に「光子の裁判」が入っていたので、即決で購入しました。

しかし、通読してみたところ、この本の特徴は「光子の裁判」ではないことに気づきました。

もちろん「光子の裁判」の価値は非常に高いのですが、この本が秀逸なところは、3つのセクションの補完性にあるのです。

3つのセクションとは、順番に「鏡のなかの物理学」「素粒子は粒子であるか」「光子の裁判」です。

「鏡のなかの物理学」では、現実世界と鏡に映った世界において、物理法則は同じかどうか?という議論から始まります。

このセクションでは3つの鏡が出てきます。

1枚目は、私たちが普段使っている鏡で、これは現実世界と鏡の世界とで、右と左を逆転させる働きがあります。

2枚目は、時間反転の鏡で、時間の進む方向を逆転させる働きがあります。要はカメラに映した動画を逆再生するようなものです。

3枚目は、粒子と反粒子を逆転させる鏡です。例えば現実世界にある粒子(例えば電子)をこの鏡に映すと、鏡には反粒子(例えば陽電子)が映ることになります。

この3枚の鏡を使い、物理学における重要な概念「対称性」を説明する、つまり、物理法則が守る法則について説明されているのがこのセクションの内容です。

最終的にはアインシュタインの相対性原理の必要性まで説明されます。

2つ目の「素粒子は粒子であるか」では、私たちが普段目にする、または頭で思い描くような粒子と、素粒子の同じ点や異なる点を挙げています。

この話を読む前までは、私自身、量子力学が数学的すぎて、言葉での説明がかなり難しいと感じていましたが、それが何故なのかがこのセクションには書いてあり、非常に納得のいく説明でした。それが以下の引用文です。

”この量子力学の体系は非常に数学的なものであるが、それは、この種の奇妙なものの行動を律するのには必然的なことである。すなわち電子や光子のように、日常われわれがみたことのある、通常の粒子と非常に異なったものの行動を述べるには、われわれの日常的な言葉をもってすることはできないのは当然なことである。なぜなら通常の言葉は日常的な考え方と密接に結びついているので、こういう日常的なものとは全く別種の奇妙なものの行動を記述するには、全く不適当だからである。”

『鏡の中の物理学』71ページより引用

さらに、このセクションでは二重スリット実験も登場し、このセクションを読むことで、より「光子の裁判」が理解しやすくなっていると感じました。

数式は一切出てこないのに、言葉だけで一般の人が理解できるくらい平易な解説をすることができるのが、朝永さんのすごいところです。

そして3つ目の「光子の裁判」ですが、このわずか40ページほどを読むだけで、二重スリット実験から判明した量子の不思議さを理解することができます。

恐らく、物理学科に所属していても遊んで勉強せず、テストだけ過去問見せてもらってるだけの輩より、このセクションを考えながら一読した素人の方がよっぽど量子力学を理解していると言えると思います。

以上の三つのセクションは「鏡のなかの物理学」が物理法則の法則の部分を担い、「素粒子は粒子であるか」が素粒子についての法則を扱い、「光子の裁判」が素粒子の一種である光子の性質をよく表現している二重スリット実験にフォーカスを当てているという点で補完性があり、前から順番に読んでいくことで、より量子力学(の一端)が分かるようになっています。

印象に残った言葉

以下は、自分が読んでいて印象に残った文章の引用です。

”電気がプラスだとかマイナスだとかいうのは、運動を通じて定義されるわけですね。”

『鏡の中の物理学』12ページより引用

この言葉は、「鏡のなかの物理学」のセクションで登場します。

例えば下敷きで髪をこすったときに、持ち上げるとくっついて髪まで持ち上がる現象があります。

また、何かしらの電荷を帯びた物体が反発するなら、それらはプラスプラスまたはマイナスマイナスの同じ種類の電荷をもっていると結論付けられます。

こういった、「くっつく」であったり「反発する」という運動を根拠に、物体の電荷が定義されるというのが、朝永さんがこの文章で主張していることです。

”このとき互に区別できないということは、単にお互が瓜二つに似ていて識別ができないという意味ではなく、原理的に名前をつけられるようなしろものでないことを意味する。”

『鏡の中の物理学』59ページより引用

この文章は「素粒子は粒子であるか」に出てきます。

素粒子と粒子の異なる性質として、二つ(以上)そいつらがあったとき、素粒子の場合はその二つを区別することができないのに対し、粒子は区別が可能です。

例えば、二つのビー玉があると、これらは少しの傷や模様の違いなどで区別ができます。

もし全く同じ状態のビー玉同士でも、区別したことを頭で覚えていれば(難しいかもしれませんが)区別は可能です。

しかし、素粒子の場合はそもそもそれが原理的に不可能というのがこの文章の主張です。

まとめ

今回は朝永振一郎さんの著作『鏡の中の物理学』を紹介しました。

一般の方はノーベル賞受賞者による平易な解説で理解が可能ですし、物理を学んでいる方にとっても、その平易な解説が自分にはできるのかを判定し、より言語化するために有益な一冊であると言えます。

私は名著と名高いファインマン物理学量子力学の2重スリット実験の記述よりも、こちらの朝永さんのスリットの解説(=「光子の裁判」)の方が分かりやすいと感じました。

是非一度手に取ってみてください。

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