何故読もうと思ったのか?
大学4年生だった頃、私は教授から提案された研究テーマの中から「面白そうだから」という理由で、あるテーマを選んで研究を始めました。初めて研究に触れた当初は、新しい器具を準備したり、装置を使ったり、テーマの解明に挑む毎日がとても新鮮で楽しく、「研究って面白い!」と感じていました。
しかし、その情熱が続いたのは夏の大学院入試まででした。
私の場合、自分の大学の院に進む予定で、面接のみの試験でした。正直「余裕だ」と思っていました。ところが、その面接で「君の研究の目的は何ですか?」と問われた際、うまく答えることができませんでした。研究を始めた動機が「面白そうだから」だったため、それ以上の意義や目的を深く考えていなかったのです。その結果、面接は散々な出来で、自己嫌悪に陥りました。
これをきっかけに、「自分の研究にはどんな意義があるのか?」「果たして役に立つ研究なのか?」といった問いを考えすぎるようになり、研究が次第に息苦しいものに感じられるようになりました。「本当にこのテーマを続ける価値があるのか?」と迷い、自信を失っていったのです。
そんな中、偶然書店で見つけたのが『未来の科学者たちへ』でした。本を手に取り、パラパラとページをめくると、「役に立つかどうかよりも、面白い研究をすべきだ」というメッセージが目に飛び込んできました。「これをノーベル賞受賞者が言っているのか!?」と驚き、迷わず購入しました。
この本との出会いは、当時の私の状況と絶妙にリンクしていて、「やっぱり研究は自分の「面白い」を重視していいんだ!」と思えるようにしてくれた印象深い一冊です。
『未来の科学者たちへ』の目的
目的は本の中で、以下のように明記されています。
『未来の科学者たちへ』 P7~8“私たちが本書を作ろうと思った動機は、サイエンスの楽しさや素晴らしさをぜひ多くの方々に、特に若い世代の方々に伝えたいという思いです。いまのサイエンスに楽しい、ポジティブな話題が少なくなってしまっていて、「役に立つ」かどうかでがんじがらめになっているからです。もっと自由で楽しいものなんだということを伝えたいと思う。”
重要なのは、この本のターゲットは「若者」であり、科学を専攻しているかしていないかを問わないという点です。
『未来の科学者たちへ』で著者が伝えたいこと
自分の好奇心こそが、面白いと思えることこそが、真実に近づきたいという思いこそが、科学の本質である。つまり、科学は本来文化的なものである。
これを読者に伝えることが、本書のテーマだと解釈しました。特に日本において、このテーマは見逃されがちです。
これをもう少し深堀しましょう。
科学と技術の違い
「科学○○」という言葉を聞いたとき、○○に入る漢字として「技術」を思い浮かべる人が多いのではないでしょうか。実際、「科学技術」という言葉は日本でよく使われます。しかし、著者はこの表現に如実に表れているように、日本では「科学」と「技術」が混同され、それが科学の本質を見失わせていると指摘しています。
そもそも、科学と技術は全く異なる概念です:
- 技術:
人類の役に立つものとして「発明」され、生活に欠かせないもの。例えば、パソコンやエアコンなどです。 - 科学:
知的好奇心によって「発見」された自然法則のまとまり。生活に必須ではなく、「無くても困らない」もの。例えば、運動方程式や人間の細胞の数など。
この違いを考えれば、「科学が役に立つかどうか?」という問いが意味をなさないことが分かります。科学は「役に立つ」ことを目的としているのではなく、人々の好奇心や探求心から生まれるものだからです。
科学は文化である
ただ、「無くても困らない」とはいえ、科学が私たちの生活に与える影響は大きいものがあります。科学の知識は、私たちの視野を広げ、生活を豊かにしてくれるのです。これはスポーツや芸術がもたらす価値と似ています。スポーツや芸術も、必須ではないものの、あることで私たちの暮らしが彩られ、充実するものです。
だからこそ、著者は「科学は本来、文化的なものである」と主張しています。私たちが科学を文化の一部として捉え直し、楽しみ、支えることが重要なのではないでしょうか。
『未来の科学者たちへ』で印象に残った言葉
1つ目
『未来の科学者たちへ』 P96“「これはおもしろい」とほんとうに自分が思っているのか、といつも自問自答することはとても大切だ。自分では「興味がある」「おもしろい」と思っていても、実はおもしろいと思わされていることがあるのだ。自分の考え方や行動は無意識のうちに、否応なく社会からの影響を受けるものである。”
自分が本当に「面白い」と思っているものと、他人の影響で「面白い」と感じているものを区別する方法として、以下のようなことが考えられます。
- なぜ面白いかを自問自答する
- 時間を空けても興味が続くか試す
- 一人でも楽しめるかを試す
2つ目
『未来の科学者たちへ』 P195“失敗であっても一つの経験として積めるのに、主体的にならないと失敗という経験さえ積めないのです。”
教授からの指示待ちでは駄目ということですね…
3つ目
『未来の科学者たちへ』 P36“失敗の理由を考え、その意味を問い直してみると、常に次の問いが出現するものである。それを見逃さないことがまず大切。そして、狙っていたもの、狙っていた結果と違ったからと言って、それを捨ててしまわないこともまた大切だ”
この文章は、失敗をただの「結果」として終わらせるのではなく、その背後にある「意味」を深く問い直すことの大切さを教えてくれます。失敗の中には、新しい問いや可能性が潜んでいることが多いのにそれを見逃してしまうのはもったいないし、それを単に「間違い」として捨ててしまうのではなく、その中から学びや新たな道を見出す柔軟性も重要だと改めて気づかされました。
読者の皆さんにも、この考え方が人生のさまざまな場面で役立つのではないかと思います。
読んで感じたこと(感想)
知識へのリスペクトを取り戻すために
「現代社会では『知識へのリスペクト』が薄れている」という本書の主張に、私はハッとさせられました。確かに、教科書で学ぶ知識はつまらなく、味気ないと感じることが多々あります。私自身も、「なぜこんなに退屈な知識を覚えなければいけないんだろう」と疑問に思ったことが何度もありました。
この問題の原因として、挙げられるのは、ネットや教科書を使った詰め込み教育です。
- インターネットでは、自分の疑問を簡単に解決できるため、深く考える機会が減り、知識へのありがたみを感じにくくなっています。
- 教科書では、自分が望んでいない情報を詰め込まれ、それにうんざりしてしまうことで、知識そのものを敬遠するようになります。
これらの要因が重なり、知識に対する価値が軽視されてしまっているのです。
科学を文化として捉える
この問題を改善するためには、この本のメッセージである「科学を文化として捉える」という視点が必要です。つまり、科学の知識を「覚えなくてはいけないもの」ではなく、「自分の生活を豊かにしてくれるもの」として捉えることが重要だと考えます。
日常の中で科学がもたらす面白さや驚きを感じられる機会を増やすことが、知識へのリスペクトを取り戻すきっかけになると考えられます。。科学がただの「義務」ではなく、「楽しさ」や「豊かさ」と結びついた存在として人々に受け入れられる未来を目指すにはどうすれば良いのでしょうか?
そのために、文化として根付いているスポーツに焦点を当てることは有益だと思います。
スポーツに学ぶ「文化としての科学」
スポーツが文化として多くの人に支えられている理由は、「私たちとスポーツとの距離の近さ」にあると思います。具体的には、以下のような要素が挙げられます:
- 費用があまりかからない
手軽にスポーツに触れることができる - 初心者でも楽しめる
専門的な知識や技能がなくても楽しめる - 観るだけでなく自分でプレーもできる
スポーツは観戦するだけでなく、自分も参加できる - 推し活ができる
好きな選手やチームを応援したり、交流したりする「推し活」も、スポーツの楽しみ方の一つ
これらを満たすように努力すれば、科学も文化として根付くのではないでしょうか?
最後に
『未来の科学者たちへ』は、特に科学に対して息苦しさを感じている学生や、利益を重視して人生設計をしていて苦労している人におすすめの一冊です。自分の好奇心を大切にし、「面白い!」と思えることを追いかける勇気を与えてくれる本だと感じました。